みなさんはじめまして。まろんです。
このサイトにお越しくださり、ありがとうございます!
✓ 24時間365日ワンオペで4歳児を育てるアラフォー(もうすぐアラフィフ!)
✓ 専業主婦からの子連れ離婚が目前!!
こんな崖っぷちの私ですが、現在、
「在宅ワークのみで、1年後に30万円、2年後には月商50万円の収入を継続して確保していくこと」
を目指しています!!
冗談・・・ではありません。本気です。
かわいい1人娘の笑顔を守るためと、なにより自分自身のために。
この記事では、私がどのような人生を歩んできたのかをお伝えしたいと思います。
私の人生は、一言でいうと 「”イイ子” に縛られてうまくいかなかった人生」です笑。
しかも、40歳を超えてもまだ、そのことすら気づいておらず、
本当の意味で ”イイ子” に縛られていたことを自覚し、そこを乗り越えることができたのは、ほんのごく最近のことなのです。
みなさんの中にも、
- 自分の両親からみて、良い子であろう
- 世間からみて良い人間であろう
- 子どもにとって良い母親でいよう
…と、「良い子」であることに知らぬ間に固執し、自分の人生なのに自分で決められない…という方が多いのではないでしょうか。
少なくとも私は、そうでした。
この記事では、私が良い子を脱却するまでの経緯と、
良い子であることに縛られる必要は全くない!自分の人生を自分で決断して楽しもう!
ということをお伝えしていきたいと思います。
長女で ”イイ子” 、そして ”他人軸” の完成した子ども時代
一般的な家庭に長女として産まれ、何不自由なく過ごした子ども時代。
ザ・優等生!タイプの子どもで、おりこうだね、いいこだね、と言われれることも多く、両親にとっては自慢の娘だったことでしょう。
しかし私の中で、小さなストレスが着実に積み重ねられていました。
それは、「過保護」という一言だけではすまされない、とくに母親からのプレッシャー。
〇〇しないと周りに変な目で見られるから〇〇しなさい
怒られるから〇〇しなさい
常にそんな言葉で育児を受けてきました。
そのため、当時の母親を思い返してみると、
いつも怒っている表情しか思い出せないくらいです。
母親は完全に「他人軸」で生きている人で、それをそのまま私にもインストールしようとしていました。
もちろん今となっては、母親は母親なりに一生懸命に初めての子育てをしようと頑張っていて、当時の精一杯の愛情表現だったと理解し、ゆるせるようになりましたし、
現在は母親との関係はとても良好で、この時期があったからこそ今があるんだと感謝しているのですが。
とくに小学校高学年に上がるにつれて、
「どうせ私は生きていてもしかたないんだ。消えてしまいたい」という想いが強くなっていきました。
自分の想いを口に出すと母親に否定されることが続いた結果、自己肯定感が爆下がりしてたのだと思います。
否定されても言い返せばよかったのですが、さらに怒られることがわかっているので諦めることが続き、見えないストレスは溜まる一方でした。
そしていつしか、私も母親と同様に「良い子」で「他人軸」が心地よくなるような、そんな人間が完成していきました。
母への小さな反抗、そして大きな反抗を成し遂げる
積みあがったストレスが最初に爆発したのは、中学2年生。
学校の成績は変わらずよく、外面は「良い子」のままでしたが、
家の中では、部屋のドアをバタン!と閉めたり、階段をドスンドスンと大きな音を鳴らして上り下りしたりと、小さな反抗が始まりました。
それでも当時の私にとっては、精一杯の反抗だったんですけどね笑。
そして高校は「良い子」を発揮して、地元一番の進学校へ。
進学校だったので、入学早々に大学進学への導線を考える機会が多くあるのですが、
いつしか私は「早くこの家を出たい!」「母親から離れたい」という想いのみで動くようになっていました。
中学生の時のような小さな反抗を表に出すことはなくなっていましたが、
心の中でその想いをしたため、「大学に行く=家を出る」ことで、大きな反抗を成し遂げようとしていました。
家を出ることができたら、大学なんてどこでもよかったのです。
それでも地元から遠すぎる大学は気が引けたのか
志望校として選んだのは、実家から遠すぎず近すぎない県外で、学費の安い国立大学。
ここぞとばかり「良い子」を発揮して勉強に専念、見事に志望校に合格。
しかし合格通知を開けた途端、母親は一切喜ぶことはなく突然半泣きで崩れ落ちていきました。
人が本気で崩れ落ちる様を見たのは、これが人生で初めて。
「まろんが家を出ていくのが寂しい、悲しい」のだと。
その母親の姿に、私は大きなショックを受けました。
「がんばった私を認めてくれないんだ」「一番に褒めてほしかったのに。」
そして私は、気持ちをあらたにしたのです。
「一刻も早く家を出る。」
待望の大学生活で人生初めての挫折を味わう
それでも「良い子」はついて回っていたので、
なるべく家賃が安いアパートで仕送りも最低限にしてもらい、奨学金をいただいて大学生活をスタートさせました。
飲み会を覚え、友達もたくさんできて、サークルやバイトもはじめて、家に帰っても干渉してくるヒトがいない。
もぅ、その解放感といったら、たまりません!
完全に1人暮らしを満喫していました。
たまに帰省することもありましたが、いつも一瞬。
だって、母親と一緒の空間が嫌でたまらなかったから。
しかし、楽しさとは裏腹に、少しずつ違和感を感じることが増えてきました。
それは、「私にはやりたいことがない」ことに気付き始めたから。
大学進学は「家を出る」ことが目的。
すでにその目的は達成してしまった。
やりたいことがあれば見つければいい。そう思っても、
今までの人生、母親の言う通りに物事を成し遂げ、それが良しとされてきた私にとって、何かを決断する時には、それが世間的に正しいのか正しくないのか、
他人軸でジャッジするという癖から抜けられず、
自分の意思で何かを決めることができない人間になっていました。
結果、それは就職活動にも響きました。
やりたいことがないから、どの企業を受けるにも志望動機なんて薄っぺら。
そんな学生のことなんて、企業側からしたら一目瞭然ですよね。
さらには当時、就職氷河期。
いくつかの面接を受けるも、面白いように落ちていきました。
人生初めての挫折を味わう時間でした。
自分の人生なのに母のせい?!
それでも私をひろってくれる会社と出会い、
再び実家からは離れたところで、社会人生活スタートです。
社会人になっても「良い子」スタンスは変わらず、仕事はそつなく完璧にやり遂げる。
しかし学生時代に感じていた「やりたいことがない」という違和感は増大。
小さい頃から、「〇〇しなさい」「〇〇するべき」と言われ続け、母親の指示通りにすることを良しとして生きてきた私にとって、完全に他人軸が出来上がっており、
いつも自分の意見は持たずに人のせいばかり。
レールの敷かれていない人生を歩むことが、逆にストレスになっていたのです。
そして、「どうしてあんな子育てをしたんだ」と、母親への憎しみが倍増していきました。
自分の人生なのに、完全に母親のせいにしていたのです。
そのストレスは、摂食障害という身体からのSOSによって、それらを私に教えてくれました。
そしてはじめてカウンセリングを経験。
そこで、母親の立場になって物事を考えるきっかけをもらったことで
母親との時間のやり直しが必要だと思い、しばらく帰省。
母親はだいぶまるくなっており、子ども時代とは全く異なるコミュニケーションをとることができました。
それからほどなくして、冒頭にお伝えしたように母親をゆるすことができたのです。
自由を満喫した30代、そして晩婚
母親をゆるしてからの私は、ずいぶんと身体が軽くなったようで、30代後半まで自由気ままに生きていました。
1人旅をしたり、派遣社員でハケンの品格並のお給料をいただいたり、さまざまな恋愛を経験したり。
しかし、ふと気づくとまわりの友達は、次々と結婚してかわいい子どもに恵まれ、すてきな家庭をつくっていました。
私も結婚して幸せな家族をもちたい。
そんな思いで婚活に挑みましたが、次々と脱落。
そんな中、10年来のお友達の中に、裏表なくお付き合いできる男性がおりまして、
あれよあれよと結婚する流れとなりました。
…が、今思うと、結婚へのワクワクよりも、この人でいいのかな。。。という不安がたくさんあったな、と。
今になっての答え合わせですが。
焦りから結婚してしまった感がありましたね笑。
念願の出産、そして産後クライシス
それでも、お付き合いしている期間も、結婚生活も、とても楽しかったです。
そう、出産前までは。
はじめての出産は40歳。
念願の助産院で、とても気持ちのよい、楽しくて大満足な出産を経験することができ、
また産みたい!何人でも産みたい!!と思えるような、最高の出産でした。
・・・からの、産後クライシスっ!!!
夫は、察して動けるタイプではないのですが、何かをお願いすると、
「言い方が悪い」「こき使われているようだ」「やってもいいいけど俺のやり方でやるから一切口出しするな」と言われ、そのうちお願いするのも嫌になるから自分でやる、イライラが募る、の繰り返し。
それから間もなくコロナが流行り、もともと時々 在宅で仕事ができていた夫の会社は、早々とオールリモートに切り替わり、毎日家にいるようになります。
私と娘の生活スタイルは完全に崩れました。
「亭主元気で留守がいい」という言葉の意味を初めて理解できたのも、この頃です。
私はふと、離婚しよう。と思い立ち、1歳に満たない我が子をベビーカーに入れ、
片道30分歩いて役所まで離婚届をとりに出向きました。
完全に脳みそが「無」の状態でした。
「コロナ離婚」という言葉が流行る、少し前のことです。
しかし、当時の私は経済力に自信がなく、子どもと一緒にいたいという気持ちも強く、
結局 離婚を切り出すことはできませんでした。
(まさかその時にもらってきた離婚届が、4年後に役立つとは思いもよらずでしたが笑。)
モラハラ発覚からの離婚劇序章
結局、夫に対しても ”良い子” だった
そして我慢の3年が経過し、ある些細なことがきっかけで喧嘩に発展。
夫は、大声をあげて私の作った昼食を投げつけ、ドアを蹴って大きな穴をあけました。
夫のそんな姿を見るのは初めてで、大きな恐怖を覚えました。
その時のことを思い出すと、震えが出てくるくらい。
今考えると、その予兆は、結婚後から時々あったのです。
喧嘩になると、よく分からないポイントで逆上して、すぐ大声を出す。
どうせ俺が悪いんだろと言い放って、話し合いにならない。
大声に完全に委縮する私。
しかし私は、その予兆がモラハラだと気づくことはありませんでした。
ドアにあけられた穴と、その時の恐怖感、それが何なのかをネットサーフィンしまくった結果、はじめてモラハラだと気付き、納得。
理由が分かり安堵感を感じる一方で、
夫に対しても、結局は「良い子」でいた自分に気付き、落胆するのでした。
夫に「あなたがやったことはDV、モラハラだから」と伝えるも、
さらに逆上して「そっちが悪いのにそんな言い方をするなんて、もう離婚だ!」と。
それがちょうど1年前のことです。
離婚したいという自分の本音に気付いてしまう
いったん離婚を考えたことがあるとは言え、専業主婦で収入がない上に、
私には念願で手にした「家族」を手放すことが怖かった。
娘にとっては大好きな父親。娘からを取り上げてしまうと、
娘を傷つけてしまうかもしれない。
離婚を考えると不安しかなく、はじめは必死に、「離婚はしません」と
離婚話を進めることはありませんでした。
しかし、そこからの半年間がきつかった。
娘の前では喧嘩を絶対にしたくなかったので、仲のよいパパ&ママ。
外でも仲良しな仮面夫婦。
家の中では、無視され続ける。喧嘩になると大声を出される。
話し合いを持とうとしても、話にならない。
それでも結婚生活を続けるために、家族を続けるために、あの手この手で頑張りました。
しかし、いくつもの面で取り繕っていた私は完全に疲弊していきました。
そしてこのままでは病んでしまうと思い、思い切ってパートナーシップ専門のカウンセラーを頼りました。
そこで言われた一言で、はっとしたのです。
「離婚しても、結婚を続けるにしても、あなたは幸せにしかならないのよ」
どちらを選んでも幸せにしかならないとしたら、私はどっちを選ぶ?
私はどうしたい?どっちがワクワクする?
何度も心に問いかけた結果、出てきた答えは ”離婚” でした。
夫への愛情が完全になくなっていることも、この時湧き上がってくる感情で気づきました。
もちろん、夫をモラハラ化させてしまった私にも非があります。
しかし、一度その想いに気付いてしまっては、もう戻ることはできません。
離婚前提で将来をいろいろと考え始めました。
”良い子“ からの脱却
しかし、離婚を決意したはいいものの、考えれば考えるほど、調べれば調べるほど
沼にはまっていくようでした。
・専業主婦でキャリアも途絶えているアラフォーの私が、この先1人で子どもを養っていくことができるのだろうか・・
・娘が将来離婚に気づいた時、傷つきはしないだろうか、周りに茶化されたりしないだろうか・・
・両親や結婚式に来てくれた友達にはどうやって報告しよう・・・
延々と考え続け、その度に大きな不安の波が押し寄せてきて、
あまりの緊張と不安とで、呼吸がうまくできないような、そんな感覚の日々が続いていきました。
白髪もだいぶ増えました笑。
その頃に出会ったのが、私が今所属している、在宅や好きな場所で働きながら、活躍し続けている方がたくさんいる<オンラインスクール>です。
SNSマーケティングを教えてもらえるだけではなく、フリーランスで勝ち抜いていくためのマインドセット、
そして何より、すでにシングルマザーで頑張っているママさんや、離婚を考えているママさんもたくさんいて
本当に心強く、仲間と繋がることのありがたみを感じることができました。
「あ、わたし大丈夫かも」と、過去に離婚がよぎった時とは全く違う、確固たるベースが着実にできていき、
理想の未来を現実的に想像できる、地に足のついた私がいました。
そして、シングルマザーでやっていこう!と、ある時から強く決意できたのです。
夫への ”良い子” から脱却しよう。
”他人軸ではなく、自分の人生を自分で決めて生きよう。
理想の未来を自分の手でつかみとろう。
私の人生を全力で楽しむ姿を娘に見てもらおう。
これが私が人生ではじめて見つけた、「やりたいこと」でした。
そう決意した直後、幼稚園のお迎えのために自転車を走らせたのですが、その時の景色を忘れはしません。
冬晴れでスカッ!とした青空のもと、紅葉が色鮮やかに映えていて、
今まで自分の目がかすんでたんじゃないかと思うほど、景色がキラキラ輝いて見えました。
「大丈夫かも・・じゃない、大丈夫なんだ。私は大丈夫!!」
自転車に乗りながら、なぜか涙があふれてきて止まらず、
けれどその涙は、決して寂しいとか不安とかネガティブなものではなくて、
心が震えて出てくるあたたかい涙でした。
ここまでの決意ができたのも、夫が気づかせてくれたのがきっかけなのだと思うと、
夫への感謝もうまれてきました。
夫へ離婚の意思を伝えた後は、もう離婚手続きに向けて動くのみ。
弁護士さんに相談したり、公正証書の作成を進めたり、家探しを始めたり。
もちろん不安がゼロではありませんでしたが、
悩む時間がもったいなく、着々と作業を進めている今日この頃です。
そして、ちょうど時を同じくして、そのスクール内で “WEBマーケティング” を学ぶことができる機会があると知り、まさに今の私に絶対必要な武器になる!! と挙手。
今に至ります。
最後に
大丈夫!の証明
こんな私も、少し前までは離婚を考える度に不安で押しつぶされている、ただの専業主婦でした。
・離婚というワードが頭をよぎるけど、1歩が踏み出せず、なかったことにしている・・・
・子どものためにも、自立できてから離婚を切り出そうと思っている・・
・勢いで離婚してしまったけど、将来の不安が募るばかり・・
・そもそも離婚したいのか結婚を続けたいのか、自分がどうしたいのかわからない・・
「離婚」して幸せになるイメージが、まだまだ世間には浸透していないと感じますし、
事実私も、離婚を公表すると、「変なこと聞いてしまった・・」と、対応に困る表情をされる時も多々ありました。
けれど私は、「大丈夫!」を証明したいのです。
それを証明していくためにも、私はここに学んだこと全てをアウトプットしていきます。
理想の未来を必ず叶えてみせて、同じように今、不安と向き合っているあなたの道しるべになりたいと思うからです。
このサイトを立ち上げたのも、同じ理由です。
あなたは今、心の底から「私の人生、とっても幸せ!」と、胸を張って言えますか。
離婚を目前にした私は今、日々幸せだと感じることが増えてきましたが、
自分の人生を自分の足でしっかり立ち、理想の未来を叶えることで、今よりもっと幸せになるに違いない。
そう思うと、ワクワクが止まりません!
・元専業主婦の子連れ離婚でも、子どもには、やりたいことを我慢させることなく、いろんなことに挑戦してもらいたい
・養育費をアテにしなくても、在宅ワークのみで1年で月30万円、2年で月50万円の収入を継続して確保し、余裕のある生活を送りたい
・子どもの将来や親の介護など、この先出てくるお金の不安にさいなまれることなく、好きなことを思いっきり謳歌する人生を送りたい
決してみなさんに離婚を進めているわけではありませんが、
私の叶えたい未来は、みなさんに届けたい未来でもあります。
自らの意思で、自らの人生を決断し、自らの理想の未来を叶えていく。
「あ~幸せ♡」と、母が心の底からおもえる毎日が、子どもにとっても幸せであるということをこのブログに綴っていきますので、
気になった方は、是非このブログを覗きに来ていただけるとうれしいです。
長文にお付き合いくださり、ありがとうございました!